|
1945年の日本の敗戦(朝鮮の解放)後、朝鮮人の手による朝鮮語教育施設が列島各地につくられていきました。日本の植民地支配によって学ぶことを禁じられ、奪われていた母国の言葉と文化を自らの手に、取り戻すためでした。
後に朝鮮学校と呼ばれるそれらの学校は、1948年時点では、小・中あわせて462校あり、5万1346人の子ども達がそこで学んでいました。
しかし日本政府は、この朝鮮人自身の手による朝鮮人のための民族教育活動を敵視し、警察を使ってこれらの朝鮮学校を暴力的に閉鎖していきました。そして代わりに日本の学校に通わせて、朝鮮の子ども達に「日本人教育」を行なおうとしたのです。
このような状況の中、やむなく日本の学校に通う子ども達も増えていきましたが、一方、閉鎖された朝鮮学校も、さまざまな方法で再びつくられ、運営されていきました。
そして現在、各地の朝鮮学校(日本の幼稚園から大学に相当する各学校)を合わせて、約1万人の子ども・少年・青年らが、これらの学校で学んでいます。
しかし、日本政府の差別政策によって、日本の私立学校には行なわれる教育助成金等の「教育保障費」支給が、朝鮮学校に対しては一切行なわれないため、各学校の運営は常に困難を強いられている状況にあります。
|